2010年10月10日(日)

「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし、主は人のたましいの値うちをはかられる」箴言16:2

ある人が、対人関係において、自分は常にフェアであろうとして来たし、そうし
ていると信じていた。自分は人を偏見で見ていないし、そう見る人は間違ってい
ると思っていた。

しかし、ある時、御霊に心を照らし出された。自分の心の奥深くでは、自分はそ
んな人達のようではないと、優越感を持ち、そんな人々を見下している事に気づ
かされた。又、表には出さないが、心では差別をしている醜い自分に気づかされ
た。まさにパリサイ人の姿そっくりそのままだった。

神に反抗しているなら、まだわかりやすいが、表面的には、正しくあろうとし、
神の心にかなおうと、従おうとしているので、返って全く気づかない。御言葉と
御霊の光が臨む時、私たちも、心の奥底が見せられ、自分の本当の姿を知る。

愕然とするが、神はそんな事はすでにご存じの上で、愛して下さっている。神は
知っておられるが、自分が自分の本当の姿を知らない。試練を通して、行き詰ま
りを通して、本来の姿を教え、見せて下さる。

余裕のある時は、幾らでも自分を作れて、うまく見せられるが、切羽詰まった試
練の時に、全く余裕の無い時に現れる姿が、自らの本性だ。言い訳や弁解せず、
自分を正当化せず、その自分を認めて行く時、自分が変えられて行く。成長は常
に、認めるところから始まる。

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自分では気づかない「動機」を、御霊は照らし出される。心がザラつく時、何か
ひっかかる時、心の底を御霊に探って頂こう。反抗しているつもりは無いので、
返ってわかりにくい。自己満足、自分の栄光はないか。主はきよめて下さる。