2010年11月09日(火)

「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり・・」マタイ7:9

主は人を「裁くな」と同時に、「見分けよ」と言われる。裁く事と、識別し、評価し、判断する事は別の事だ。犬や豚をきちんと見分けなければ、どうして真珠を投げるなとの主の命令に従えるだろう。

識別力を行使しなければ、犬や豚を判断する事は不可能だ。又「霊だからといってみな信じるな」と言われる。終末には、多くの偽預言者たちが現れる。何でもかんでも受け入れるのが愛ではない。霊を何でも信じてはならない。「鳩のように素直」で、且つ「蛇のようにさとく」あるべきだ。

では「裁き」はどうだろう。人を「裁いて」いる時は、自分の内に密かな優越感がある。上に立って、相手を見下している。そして自分は義であり善なのだ。又、相手の非や欠け、失敗に快感があるなら、それは肉であり、裁きだ。それは「裁いてはいけない」に違反している罪だ。肉は、妬み、敵対心の対象の失敗を
喜ぶものだ。

これは肉の性質だ。又、肉は批判が大好きだ。シーソーのように人を下げると自分が上がると錯覚する。虚しい罪だ。誰かに対する裁きがあるなら、悔い改めよう。そして、裁きと識別を区別して、光の御使いに偽装して来る、偽預言者、福音に敵対し、踏みにじって来る者を、ちゃんと見分けられるよう祈ろう。祈りが
大切だ。祈りによって識別を与えられる。
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自分の肉をまず神様に取り扱ってもらい、はっきり識別出来ますように。拒否し受け入れてはいけないものと、自分の罪のゆえに裁いているかもしれないもの。自分自身が神様によってよく見える者にしていただこう。