2011年01月09日(日) 「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」ピレモン15
「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」ピレモン15
オネシモは、ピレモンの奴隷であった。主人のもとで盗みを働き逃亡。しかし、 捕らえられ投獄、そこでパウロに出会う。パウロは主人ピレモンを知っていたオ ネシモは、パウロに導かれ回心し、主イエスを信じた。 当時、逃亡奴隷は死刑であった。パウロは新生し、変えられたオネシモを確認し、 主に在る兄弟として、受け入れてくれるようピレモンに手紙を書いて頼んだ。オ ネシモは彼の名の通り、無益な者が「有益な者」に変えられた。 私たちの人生も同様だ。様々な事態が生じ、時にはその先が見えず、大きな不利 益、マイナスにしか見えない事態が、「すべてのことを働かせて益」とされる方 により、大いなる祝福と豊かな結果へと変えられる。 今、グチャグチャで、「これが一体何になる?」としか思えない事が、必ず豊か な益へと導かれて行く。又、パウロは摂理の信仰を持って、事態を見た。オネシ モは主人を裏切って逃亡したのだが、それを信仰のメガネをかけて見る時、オネ シモを役立つ者として、永久に取り戻すために、一旦離されたのだと。 私たちも信仰に立って、すべての事柄に神を認め、摂理を認める時、物事の見方 が全く変えられる。失望落胆する事態に遭遇した時は、神のご計画を「認める」 時だ。今失望していたら、摂理とご計画を見、信仰的見方に立とう。 ・・・・・・・・・・・・・ どうしてこんな事が、何がどうなっているのかわからない、グチャグチャな事態 が、しばらくの時を経ると、パズルが埋まるように繋がって来る。今、起きてい る事に、ご計画と意図がある。信じて、主を待ち望もう。忍耐の時かも知れない。