2011年02月07日(月)

「その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり・・」Tテモテ6:4


「健全なことばと敬虔にかなう教えに同意しない人」がいるならその人は「高慢」になっているとある。高慢とは、御言葉に同意しない事だと言っている。普段、余り意識ないが、どうだろう。御言葉を聞く時に、自分の思いが入って来る。「でも・・」「そんな事はできない」「無理」「そんな事言ってたら、世の中や
って行けない」「ちょっと厳しすぎるんじゃない」「そう思わない」等々、

御言葉と同時に、自分の思いが来て、自分の思いの方を取り、自分のメガネに適わない言葉は捨ててしまう。自分に都合の良言葉だけを受け入れる。それも、自分の都合の良いように受け取る。それが高慢だと言っている。その自分の肉に従って行くと、肉の実を刈り取る事になる。高慢になると、何一つ悟らず、御言葉
に反して行く。神を疑い、人を疑い、人がああ言った、こう思っていると、言い争いを起こして行く。

人との比較に生きているので、人の幸いを妬み、祝福出来ない。人を裁き、そしり、そこには決して平安と喜びがない。「満ち足りる」ためには、まずこの高慢を悔い改める必要がある。自分は御言葉をその通りに受け入れているだろうか、同意しているだろうか、へりくだって聞いているだろうか、御霊に心を探って頂
こう。満ち足りる心は、御言葉を素直に受け入れるところから生まれる。
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出来ない、受け入れられない、変わりたくないと御言葉に対しての思いが来たなら素直に神様に告げよう。向き合う事になる。簡単に右から左に流してしまわず謙遜に御言葉に向き合おう。