2011年04月09日(土) 「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばはあなたがのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21
「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばはあなたがのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21
「すなおに」御言葉を受け入れるようにと、主は言われる。「すなお」とはへり くだった心だ。高慢やプライドの対極だ。「どうぞ私に教えて下さい」との、謙 遜な心であり、教えられやすい心だ。 へりくだっていなければ、御言葉を受け入れることはできない。自分の思い、価 値観が御言葉と対立する。「そんな事、無理」「できるはずが無い」「そんな事 していたら、この世は渡れない」・・様々な肉の思いが妨げ、自分を通し、御言葉 を流して、捨ててしまう。 結局、自分が御言葉の上に立って、判断している事になる。御言葉が植えつけら れ、御言葉に従うことによって、たましいが救われ、成長して行く。御言葉をす なおに聞く以外に、すべがない。 問題の時、悩みの時、御言葉が心に臨むと、救いが来る。解決が来る。もし、仮 りに状況が変わらなくとも、心に全き平安が臨む。それゆえ、すなおな心が重要 であり、主は心を耕して下さるために、試練を送られる。すきやくわで、硬い、 頑固な心を耕して、柔らかい土地にして下さる。 自我が砕かれ、柔らかい心にされる時、御言葉が入り、従うようになる。私たち も救われてから、今に至るまで、あの試練やこの試練、様々な試みにより、頑な な心が砕かれ、少しづつすなおにされて来た。懲らしめは主の愛であり、憐れみ だ。これからも訓練として、受け止めよう。ますます心柔らかくされるためだ。 ・・・・・・・・・・・・・ 御言葉を素直に受け入れる時に、どんな状況の中でも、救われる。もし状況が変 わらなくても、心に平安が臨むし、自分が変えられて行く。御言葉を受け入れる 事を阻む心に気づけるように。素直でない事を気づく事から始まる。