2011年07月10日(日)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30



自分がないがしろにされたり、忘れられたり、無視された時、心に何が湧き上が
るだろう。自分が活躍した場を、位置を、人に明け渡さなければならない時、心
の内はどうだろう。

ある女性は職場で、機器を指導する立場にあり、余りにも多忙だった。そこへ丁
度、その事に熟練した人物が配属になった。それで彼女に任せて、荷が軽くなり
喜んだ。ところが段々、皆が自分より彼女と親しくなり、相談事を持ちかけてい
る事に、妬みが湧いた。

ある学生は、クラブで部長をしていたが、体調を崩し、別の生徒に代わって貰っ
た。すると人気がそちらに移り、同様に妬みに苦しんだ。その事により自分の罪
がわかった。

ヨハネの弟子たちは、皆の関心が師のヨハネから、主イエスに移って行く事を不
満に思った。しかし、ヨハネは、今までの主役の座を降り、主が盛んになられ、
皆の関心が主に移って行く事を喜んだ。それがヨハネの使命であることを自覚し
ていた。

私たちはどうだろう。知らない内に、「自分が、自分が」と自我が出てしまう。
少し自分が無視されたり、忘れられると、怒ったり、ひがんだり、落ち込んだ
り・・。
しかし、へりくだって、主の栄光に焦点を合わせる時、心は平安にされる。又、
他の人を生かして行こうとする時、主からの平安に心が守られる。そしてその時、
他の人の成功や賞賛を、喜ぶことができる。

・・・・・・・・・・・・・・・
生まれつきの肉は、常に「私が」「私が」だ。自分が中心であり、盛んになるの
は自分だ。起こる様々な出来事を通して、砕かれて、主が盛んになられる。今、
目の前の出来事は、主が盛んになられ、私が衰えるためではないだろうか。