2011年08月10日(水)

「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばには、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21


私たちは、御言葉によって形造られて行く。御言葉は霊であり、いのちそのものだ。御言葉が私たちの心の奥深くに響き、入る時、私たちは変えられて行く。又、信仰生活の中で、数々の試練に会う。その時に、武器となるのが御言葉だ。恐れたり、思い煩う必要無く、サタンに御言葉で立ち向かう事ができる。私たちには「御霊の与える剣」が与えられている。何と感謝な事だろう。

いずれの場合にも、大切な事が、御言葉を「すなおに」受け入れるということだ。「すなおに」というのは、心が開かれた状態だ。自由な自発的意志で、進んで御言葉を受け入れようとする態度だ。「従って行きます」の態度だ。そんな開かれた心に、御言葉が根づいて、私たちを変えて行ってくれる。神は私たちを自由意志を持つ者として、創造された。私たちの人格を尊重される。それゆえ決して強制される事は無い。

御言葉を受け入れるか、否かは、私たちの自由意志に委ねておられる。私たちの態度は、このどちらかしかない。拒否しているつもりは無いが、自分に都合の良い御言葉だけ取っていないか。自我に触れて来る都合の悪い御言葉は、ふたをしてしまう。実は、痛い、除けたい御言葉こそが、自分に最も必要な言葉であり、向き合って行く時、自分が変えられ、心が解放され、大きく成長して行く。
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神の御言葉は等しく与えられているのに、その御言葉にかける私達の信仰はどうだろう。すなおに信じて御言葉を生きる時に、またひとつ新しく主を知れ、自分が大きく変えられて行く事に期待しているだろうか。