2001年12月10日(月)

「願ってもうけるられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」(ヤコブ4:3)


 祈りをこのように考えている人はいないか。
神社でパンパンと拍手を打って、勝手気ままに
思いのまま祈るように自己中心に祈る。
すると神はあらゆる願い事を叶えてくれる。
自分の都合の良い神だと思っている人がいる。
違反がうまく見つからないように祈る人もいる
このような自己中心な祈りは答えられない。
自分達の人生をできるだけ楽しいものにするた
めに神がいると思っているようだ。
人生の障害物を取り除き、苦しみを軽くし、必
要を与え、そのための神なのだ。私達を造られた
神、主権をもち、すべてを支配しておられる神、
この神を侮辱する事だ。
ヤコブは利己的な祈りは「世の友となり」「神に適す
る」事だと言っている。私達の祈りを良く調べてみ
よう。利己的な祈りはないか。
悪い動機の祈りは無いか。間違っていたら、祈り
を変えるべきだ。