2011年09月09日(金)

「ダビデの行ったことは、主のみこころをそこなった」Uサムエル11:27


イスラエル全軍が戦っている最中に、王ダビデはエルサレムにいて、夕暮れに床から起き出すような生活をしていた。すきと油断がある時に、サタンはつけ込んで来る。バテシバを通して、サタンの誘惑がダビデに臨んだ。ダビデはとっさに主を仰ぎ、誘惑を拒否すべきだった。しかし、欲望に負けてバテシバと罪を犯してしまった。バテシバの妊娠がわかると、夫ウリヤの子供にしようと画策したが失敗し、次の策略で、ウリヤを戦死させる。罪に罪を重ねてしまった。

ずっと理不尽に命をつけ狙われたサウル王を、決して殺さなかったダビデだが、忠実な何の落ち度も無い部下を殺してしまった。自分は王であり、トップであり、誰も何も言う者などいない。自らの罪を隠ぺいした。人前に隠しおおせたと思ったが、何もかも一部始終を神は見ておられた。「思い違いをしてはいけない。神は侮られるような方ではない」人は蒔いた種を刈り取る事になる。

預言者ナタンを通して、ダビデの罪は日の下にあばかれた。ダビデの素晴らしいところは、いっさいの言い訳、弁解をしないことだった。バテシバのせいにしなかった。「私は主に対して罪を犯した」と自らの罪を率直に認めた。人々の手前、王が罪を認めるとは容易でない。しかし、その瞬間、赦しが臨んだ。「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」。ダビデに心底の平安と安堵が戻った。何ものにも代えられない平安だ。私たちもいつでも主のもとに赦しがある。
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いかに自分の罪には甘く言い訳なら山のように出てくる者か。罪を示されたなら弁解せずに主と罪に向き合おう。悔い改め、罪の力の強さを覚え主の守りをいつも祈っていよう。