2012年01月10日(火)

「というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」Uコリント12:9


み言葉の言う「弱さ」と、この世の言う「弱さ」は違う。前者は、自分の限界を知り、認めているということであり、後者は、強さが善であり、弱さは悪という価値観だ。この世界は比較の中にあるので、人は比較の中で生きている。人より仕事ができない、勉強ができない、運動ができない、テキパキと処理できない、対人関係がうまくできない、そんな弱さは悪だ。

この世は競争社会ゆえ、それなら負け組になる。そのようなこの世の価値観の影響を受けると、できない自分、だめな自分、人の持つ幸せを持たない自分、人より劣る自分は敗北者となる。そんな自分を受け入れることができず、認めることができない。自分が自分を裁き、受け入れる事ができず、認められない。だから人も認めることができない。

又、自分の弱さが悪であり、人に受け入れて貰えないと思ってしまう。それゆえ、人に弱さを隠す。競争なので、弱さを見せると、負けになる。尊敬を失い、自分の価値が下がる、だから絶対に見せられない。自分で自分を縛り、窮屈にし、がんじがらめにしている。

しかし、御霊の世界は違う。神の力は「弱さ」の内にこそ、完全に現される。神の愛や、力や、恵み、神の支えや、助け、それらを弱さの中で体験する。身をもって知る。自分の弱さを認める時、御霊の自由の中に入れられ、解放される。
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自分の限界を認め、すべての助けは神から来るとの希望があるのが私達の強さだ。強さの源が周囲の人と違うので人と比べることは出来ない。弱さや無力は負ではないと現状の自分を認めてあげよう。そこから出発しよう。