2012年02月08日(水)

「キリストは・・ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました」Tペテロ2:23


職場で、理不尽な、不当な扱いを受けて、苦しんでいる人がいた。ある人が慰め、励まそうと、「辛かったですねえ」と声をかけた。すると、その人は、「はい、こんなに祈った事はありません。自分は正しいのにと、悔しさで一杯の時、主の十字架が迫りました。

完全に正しい方が、十字架にかかる必要の無い方が、十字架で苦しまれ、命を捨てられた事に、目が開かれました。自分の姿が見えました。そして、主にお委ねしました。今、心は全く平安なんです。神様がおられなかったら、もうどうなっていたかわかりません。感謝しかありません」と答えた。

彼には言い分があり、正当な主張があり、権利があった事だろう。しかし、その人は信仰に立っていた。自分で自分を守ろうとせず、又、自分で状況を動かそうとせず、すべてを正しく導き、裁き、成し遂げられる主に任せたのだ。ダビデも、サウル王から不当な理不尽な扱いを受けた。サウルの激しい妬みにより、命をつけ狙われた。槍をダビデ目がけて投げつけられ、どこまでも追っ手をかけて追撃された。

ヨセフも、エジプトで主人から厚意を受けたが、その妻により、濡れ衣を着せられ、全く身に覚えの無い無実の罪で投獄された。しかし、ダビデもヨセフもそんな中で、反撃するので無く、御父に自らを委ねて行った。そして、主はふさわしい時にふさわしい解決を与えられた。
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正当な主張を理解されない悔しさや怒りは、祈りによって主に告げよう。正しく裁かれる方が、私達の燃える怒りを静め、信仰に導いて下さる。ののしられたら、ののしり返す勝ち負けの世界から心を平和に守って下さる。