2012年03月10日(土)

「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願 うからです」ヤコブ4:3



なかなか答えられない祈りがあるだろうか。動機を探ることは有益だ。主は私た
ちの祈りを軌道修正しながら、御心にかなった祈りへと導いて下さる。強い願い
があり、どうしても欲しいものがあるだろうか。

ただ、その願いが自分の肉の欲望から出ていないか。それを得ることで、自分が
賞賛を浴び、自分が栄光を奪い、ますます高ぶって行くなら、主は私たちを愛す
るゆえに、与えることを控えられる。今、あなたの、強い願望、どうしても欲し
いものについてはどうだろう。

果たしてそれが本当に自分に必要なのかどうか、それを、神に聞く事ができるな
ら、「欲望」の誘惑から守られる。欲望は際限がない。底無しだ。持つなら、更
に渇き、ますます欲しくなる。欲しいものと必要なものは異なる。自分の欲望に
従って、次々と求めて行くなら、いつしか欲望のとりこになってしまう。

今、欲しいものがあるなら、自分に必要なものかどうかを、神に祈ろう。そうす
るなら、サタンの誘惑の足場を砕いてしまう。そして、もしそれがあなたに真に
必要なものなら、神はどのようにしてでも与えて下さる。

ある人は、一見正当な求めが、神の名のもとに、実は自我によるものであると示
された。自分の賞賛のため、自分の栄光のためだとわかり、悔い改め、明け渡し
た。もう持たなくてもよいと、心底思えたその時に、思いもよらず、天から与え
られた。心の動機をきよめて下さる。求めているものが正しく良いものであって
も、動機が間違っている場合がある。御霊に心探って頂こう。

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主は動機を見ておられる。何のために、それをしているのだろう。主のためと言
いつつ、実は自己満足のため、自己実現、自分の評価を得たいがため。しかし、
主の変わる事のない愛に包まれ、きよめて行って下さるとは、何と有難いことだ
ろう。