2012年10月10日(水)

「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた」Tサムエル1:10


ハンナの心の痛みは尋常ではなかった。子供が与えられない悲しみ、苦悩に加えて、その気持ちを逆なでし、攻撃し、傷つけようとするペニンナの存在があり、又、夫エルカナには彼女の気持ちを理解してもらえなかった。当時、不妊は神の祝福が無いという迷信があり、周囲にもそういう目で見られ、その事が更に深い苦悶となった。

そんな悲しみ、苦しみ、孤独という苦境に立ったハンナが、突破口を見い出した。それは、主に何もかも吐き出すことだった。感情も、思いも、気持ちの何もかもを、主の御前に注ぎ出した。ハンナは心の底を吐き出す事で、主と深い交わりを得、問題を主に委ねきり、平安を得た。その顔は変わってしまった。帰って、食事ができた。

主は、気持ちを正直に、ありのまま、赤裸々に告げる祈りを喜んで受け止めて下さる。それは、主を頼り、信頼しているしるしだからだ。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」の通りだ。

思い煩いを主に告げ、気持ちを告げ、願い事を主に知っていただく時、「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」。そうするなら、状況はどうであれ、心が平安に満たされると。感情も、思いも、主に持って行こう。
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人に向かって言えば愚痴や悪口になることも、主に向かって告げるなら祈りになる。主が心配し何ものにも勝る平安を下さる。問題を受け入れることも、解決を委ねることも祈らずにはできない。