2012年12月10日(月)

「イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった」マルコ4:39



主は弟子たちに「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。弟子たちは自分たちがそう思ったのではなく、主から発した事であった。主の指示に従ったなら、嵐に会った。「おぼれて死にそう」と、湖に慣れたベテラン漁師たちが、身に危険を覚えるほどの暴風雨であった。この場合、主に従わずに、岸にとどまっておれば、嵐に会わなかった。

私たちは、主の御心に従う中で、嵐に会う。御心に従わないからでなく、従ったから試練に会った。試練は悪ではない。試練は私たちを訓練し、信仰を成長させてくれる。試練が無いなら成長はない。パニックになった弟子たちは「死にそうなのに、何とも思われないのか」と、眠っている主を起こした。私たちも、嵐に会うこのような状況があるだろうか。

こんなに苦しいのに、主は何とも思われないのか。「この病気を何とか」「突然のリストラ、主は何とも思われないのか」「この対人関係の苦しみを主は平気なのか」。すぐにこの嵐を何とかして欲しい。しかし、起き上がった主は、風を叱りつけられた。すると、風はやみ、大なぎになった。自然界を支配されている、神そのものである主イエス。その主が共にいるのに、どうして恐がるのか。

「信仰が無いのはどうしたことです」。今、嵐に会っているだろうか。結果的に、この時、弟子たちは、主に従ったゆえに、主が自然界をも支配する神であることを知る事になった。私たちも嵐の中で、主を新たに知って行ける。
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主に従う中で主が乗り越えさせて下さることを経験するのは、大きな祝福だ。嵐の中にも主はおられ風が凪に変わることがわかり、黙々と仕えて働いた僕は、水がぶどう酒に変わる奇跡を拝した。