2013年01月10日(木)

「このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました」Uコリント12:8



「求めなさい。そうすれば与えられます」と、主は、祈ることを勧めておられる。「求めよ。そうすれば受ける。喜びが満ち満ちる」、祈れば、答えられ、そして、喜びが満ちるからと。答えられるから祈る。そして同時に、祈ることによって、主のお心が知れる。パウロは、身体にとげがあり、何らかの激痛があり苦しんだ。どうしてもいやして欲しい。とげを取り去ってもらえるよう、心底の願いを主に献げた。

しかし、主の答えは「ノー」であり、願いは聞き入れられなかった。そして、別の答えが与えられた。そのとげがあった方が、更に主に拠り頼むことができて、働きができて、主の臨在の中におれると。主の恵みは十分で、主の力は、弱さのうちに完全に現われると。人の弱さこそが、主の働かれる場であり、主の御力を体験すると。

人は強い事が善と思っているし、強ければ、主のためにより働けると思っている。しかし、主の御心は全く違っている。パウロは、とげのために祈ったからこそ、主の御心を知った。パウロが祈らなかったなら、この事もわからなかっただろう。主のお心に触れて、パウロは現状を受け止めることができ、大いに喜んで弱さを誇ろう、弱い時にこそ、強いのだからと言えた。祈りにより、願ったものを得ることができる。そして、願い通りではないが、更に高い主のお心を知ることができる。
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強い求めで祈る時、主は常に近く、いつも祈りの身構えでいる。これは幸いだ。健康の維持や豊かさの中では味わえない主からの慰めや答えを敏感に受け取ることができる。だから喜んでおれる。