2013年07月10日(水)


「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか・・それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった」マタイ2:3 
         
東方の博士たちが、星に導かれて遠い道のりをやって来て、とうとうエルサレムに着いた。そこでヘロデ王に、ユダヤ人の王の生まれた場所を問うた。それを聞いたヘロデは恐れ惑った。新しい王が誕生するなら、即、自らの地位が危うくなる事であり、恐れ惑うのはわかる。が、「エルサレム中の人も王と同様であった」。

なぜ人々が恐れ惑うのか。彼らは別にヘロデなど、どうという事なく、逆らえば、身に危険が及ぶから言うことを聞いているだけだ。脅威でも何でも無かった。しかし、新しい王の誕生は脅威であった。恐れと不安を抱いた。神から遣わされたなら、ヘロデごときでない本当の王であり、自分たちは真に従わなくてはならない。又、今の生活が成り立っている以上、余計な混乱は迷惑だ。


私たちは、古い罪の性質がある。それは自分が王であり、主人だ。自分の上に「王」を置く事が嫌なのだ。ヘロデになら形だけ従っているのであり、心では、自分が王だ。しかし真の王は違う。自我を砕いて従わなくてはならない。私たちはどうだろう。古い自分は変わりたくない。変化を嫌う。痛い、しんどい思いをしたくない。今のままでよい。安穏な楽な人生を歩みたい。御子のかたちに変えられたいなどと思えるのは、主のみわざだ。新しい性質だ。新しい性質は、砕かれて、人生の王に従って行くことを求める。御心を行なうことを求める。
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自分が王であるのは限りなく自由に思えるが、真の平安は来ない。主を主と認め、信頼して従い変わって行く度に、知らなかった平安の領域は拡がる。豊かな主との関係を感謝しよう。