2013年10月09日(水)

「ダビデは心の中で言った。『私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう・・こうして私は彼の手からのがれよう』」Tサムエル27:1


「ダビデは心の中で言った」とあるが、主に向かい、祈ったのではなく、心の中で自分に向かって言った、自分で思った。祈らなかった事で、失敗してしまった。ダビデは命をつけ狙うサウルを恐れて、ペリシテの敵地に逃れるよう決断する。アキシュのもとに身を寄せたが、イスラエルと戦わなくてはならない状況に陥り、神の介入で守られはしたが、大失敗だった。

その前は違った。ダビデは、ペリシテ人がケイラを攻めているという知らせを聞き、「そこでダビデは主に伺って言った」。まず判断を主に求め祈った。「行ってペリシテ人を打つべきですか」と。主は、行ってケイラを救えと言われた。示しに従った時に、ペリシテ人を打ち、大損害を与え、ケイラの住民を救うことができた。そして次に、ダビデがケイラに行った事がサウルに伝わった。サウルは民を集め、ケイラに下り、ダビデを封じ込めようと動く。

それを知ったダビデは、主に祈った。「ケイラの者たちは私と部下をサウルに渡すでしょうか」と。すると主は「彼らは引き渡す」と答えられた。ダビデは命をかけてペリシテ人と戦いケイラを救ったのだから、普通考えるなら、それを裏切るはずはないと思ってしまう。しかし、自分で判断せず、主に尋ねたので、逃亡を図ることができた。

当然に思い、祈りもおろそかにしてしまう事柄に要注意だ。何の問題も無いと思えても、常に、主に祈りつつ生活する事の大切さを学ぶ。自分の思いで進もうとしているなら、まず祈ろう。
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祈らずにしてしまったことの代償は大きいと、この箇所から学ぶ。自分の判断で多くの部下達も迷わしたダビデがまた主によって奮い立たされる。なんと励まされることか。主が最強の砦だ。