2013年12月10日(火)

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道はあなたがたの道とは異なるからだ」イザヤ55:8



有名な例え話がある。ある村で豪雨のため洪水となり、避難勧告が出た。ある男が「神は愛してくれているから、必ず助けてくれる。だから逃げない」と避難しなかった。しかし、どんどん水かさ増し、屋根に上るまでになった。そこへ救助隊のボートが来た。「早く乗れ!」しかし、男は「神が助けてくれるから乗らない!」ボートは去った。最後に救助のヘリコプターが来た。しかし「神が助けてくれる!」と救助を拒んだ。そして、男は溺れ死んでしまった。

彼は天国へ行き、神に激怒した。「ずっと待っていたのに、どうして助けてくれなかったのか!」神は言われた「私は3度お前を助けに行った。1度目は避難勧告によって、2度目はボートで、3度目はヘリコプターで。それなのにお前は拒否した」。彼の間違いは、神の救助方法を、自分勝手に、自分の思いで、決めつけていた事だった。神は「助けて!」との祈りに答え、助けを送られた。しかし、自分の思い込みが強いがため、受け取る事ができなかった。

私たちもどうだろう。神は、時に思いを越えた想定外の方法で答えられる。しかし自分の思い通りにしたいとの強い思いがあれば、神のみ思いが見えない。自我だ。自分の思いを横に置いて、神の答えを見張っていよう。思いとは違う形ですでに来ていて、見えていないだけかも知れない。受け取れるよう祈ろう。
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求めているものを手にするために祈るが、自分の理解をはるかに超えた答えならそれとは知らず受け流しているかもしれない。祈りっぱなしで「助けが来ない・・」とつぶやいてはいないだろうか。