2014年01月10日(金)

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」詩編119:105   


船が航海する時は羅針盤を頼り、飛行機の飛行も計器を頼る。大海原で羅針盤が無く、大空の空間で計器の無い飛行を想像したらどうだろう。そしてもし、人間の視覚だけに頼って運行したらどうだろう。嵐や雲の中で、視界がゼロになると、どの方向に向かって操縦すれば良いかわからず、沈没、墜落してしまう。

車はどうだろう。計器を無視していると、ガス欠やオイル切れで車をダメにしてしまう。これは私たちの信仰生活も同様だ。確かな計器でなく、自分の思い、自分の見えるところ、自分の感覚に頼っているなら、すぐに思い煩い、不安、恐れ、心配で心が一杯になる。自分の感覚に頼って操縦するので、方向もわからず、的がはずれて行く。羅針盤や計器に従う時、正しく運行できる。

それが「御言葉」であり、「私の足のともしび、私の道の光」だ。進むべき道がわからない時、御言葉が足もとを照らしてくれ、正しい道に導いてくれる。御言葉でなく、自分の視覚で進むと迷路に迷い込む。どこへ向かっているかもわからない。

ある人が引っ越しの際に、夕刻に、食料を求めて、自転車で店を探した。そこは郊外で、店も無く、走り回っている内に、方角を見失ってしまった。日暮れて暗く、家に向かっているつもりが、もしや逆方向では?見知らぬ地で、非常な不安に襲われたと。もし地図があればどうだろう。御言葉は地図であり、指針を与えてくれる。信仰人生の道を照らして、進めるように照らしてくれる。
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主の御言葉を祈って読む時、折々に導きが与えられる。自分の考えや経験ではいくら考えてもわからないことばかりだ。主の御心を歩んでいるという平安のともしびを今日も見つめていこう。