2014年02月07日(金)

「みこころが天で行われるように地でも行われますように」マタイ6:10


主は「求めよ。願え」と言っておられるが、私達は日々何を願っているだろう。主よ、あれを、これを下さい。主よ、あちらに行き、こちらに来て下さい、主よ、ああして、こうしてと、忙しい。自分の願望と思いで一杯だ。主をあちらにこちらに動かそうとする。

ある人が、祈りについての学んだ時に、自分の祈りがいかに自己中心であるかに気づかされた。自分の事のみで、自分の願いがあるばかりで、「主が私に何を望んでおられるのか」「主が喜ばれる事は何なのか」との発想が全く無い事に気づいた。私たちは「私の心が天で行われますように」だろうか。

自分の思いでなく、主のみ思いが大切だ。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわして下さる」自分の思いが変えられ、主のみ思いに合わさって行く時に、御力が現される。天の思いが自分の思いになり、天で行われる御心が、自分通して地で行われる。「自分の思いでなく、神の思いが成りますように」が祈りだ。

自分の思いをごり押しする事がないように「みこころが天で行われる通りに、地でも行われますように」これは重要な祈りだ。肉の性質があり、すぐに自分中心に物事をとらえる。肉の思いを捨てて、神のみ思いに、自分を合わせて行く時、神と一つに歩める。捨てるべき自分の思いがあるだろうか。肉の思いを捨てる時、神のみ思いへと入って行く。 
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御心が成りますようにと言っても、まずはあれが、これがと自分の思いが先立つ。御心が成ることが最善であるはず。私の思いが取りさられ神と一つ思いとなれるよう祈って行きたい。