2014年04月09日(水)

「・・キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」ローマ8:11 



御霊によって、御霊の支配の中で生きる時、私たちは心が自由で、喜びがある。「その命令は重荷とはなりません」主に従う事が、御心を行なう事が決して重荷にならない。御霊が働かれるからだ。自発的自由意志があり、感謝がある。しかし、律法のもとで、肉に従って生きるなら、信仰生活は、非常にしんどい。主に従うことは、重い荷をずっしり負わされ、苦しい事になる。心に喜びも自由も無い。心ふさがれた状態だ。

常に神に要求されていると感じる。「したい」ではなく「ねばならない」だ。一タラント預かったしものように、神が過酷な方で、蒔かないところから刈り取る、厳しい方だと思う。主が恐ろしい方になり、主に従う事が辛い事になる。しかし、唯一の真理なる正しい方だから従わねばならない。それなら信仰生活は辛いものになる。そこに喜びなど無い。今、あなたはどうだろう。窮屈な信仰生活だろうか。苦しく辛いなら、自分の力で歩んでいるかも知れない。

妬みや憎しみ、怒りが湧き上がる時、自分で何とかしようと抑え込むのでなく「腹が立ちます、妬ましいです、誰にも言えないこの思いを、あなたはご存じです」と一つ一つ主に告げる事が大切だ。隠さず、ごまかさず、無いことにせず、主に言い表し、主に頼って行く。その時、主が助けて下さる。絶えず主を呼び、心を言い表わし悔い改め、助けを求めて行く時、その思いを解決して行って下さる。思いが来た時、「主よ」とまず主を呼び求めよう。
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内におられる御霊様の導きを大切に聞いていこう。「ねばならない」と自分を責める声が来ますと主に語るだけで祈りになる。そして人とは違う私だけの答えを主からいただき、生き生きとした信仰生活を歩もう。