2014年05月10日(土) 「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のな さること。それは後の事を人にわからせないためである」伝道7: 14
「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のな さること。それは後の事を人にわからせないためである」伝道7: 14
人生には、順境があり、逆境がある。順境だけの人生、逆境だけの 人生というのはない。順境も逆境も、神のなさること、とある。こ の世の宗教は順境だけを求める。家内安全、商売繁盛、無病息災・・、 むしろ逆境が来ないための信心だ。 主は、「祈れ」「願いを求めよ」と言われる。求めるのは良いこと だ。しかし、自分の利得だけを願っていたらどうだろう。あれが、 これが欲しい、ただそれだけなら、幼な子のままでストップだ。子 供から大人へと成長して行く時に「神の御心」を求めるようになる。 あれをくれ、こうしてくれ、だけでなく、発想が自分から主に転じ、 主はどう思われるのか、主は何を喜ばれるのか、になる。主は、主 と共に労する人々を求めておられる。成長して行く時に、自分の願 いでなく、御心のようにと明け渡して行く。順境も逆境も、神のな さることであれば、無意味なものは何一つ無い。逆境も意味があり、 目的がある。 そして、「後の事をわからせないため」とあり、主は、先の事をふ せておられる。今後、病気になるとか、この進路に進むとか、将来 の事は告げられない。占いではない。私たちに先の事はいっさいわ からない。それは主に信頼させるためだ。先が見えたなら信仰は 必要ない。見えない中で、信頼するのが信仰だ。 逆境時には、苦しみを早く逃れたい思いで一杯になる。その背後に ある主の思いに、主のなさる事に、なかなか思いが向かない。今、 もし逆境にあれば、神がなさった事であり、この中での神のみ思い は何だろう、何を教えて下さりたいのだろう、という事に思いを向 けてみよう。 ・・・・・・・・・・・・・ 神は善いお方、最善をして下さるお方、愛なるお方に立つ時、逆境 は厳しいが、天を見上げて行ける。何かを教えようとして下さって いる。時間をかけながらも、求めて行く中で、腑に落ちる所へと導 かれる。その時、心は平安でいっぱいになる。