2015年01月10日(土)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる 祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきな さい」ピリピ4:6



私達はしょっ中、思い煩う。そしていつも心配する。この事、あの
事、次から次へと思い煩いは尽きる事がない。しかし、モーセに導
かれたイスラエルはどうだったろう。出エジプトを果たした時に、
追っ手の精鋭のエジプト軍が背後に迫り、目の前は紅海という絶体
絶命の状況に陥った。戦闘の訓練を受けたエジプト軍に、戦い方な
ど知らないイスラエルの民が立ち向かえるわけもない。

進む事も退く事も出来なくなった断崖絶壁の時に、主は、奇跡を起
こし、海を分け、海のただ中に道をつけられた。主はどんなに道が
無いと思われる状況でも、そこに道を造られる。食べ物の無い荒野
では天からマナを降らせ、岩から水を出された。

そして、乳と蜜の流れる地、カナンまで導き、カナンを前に、ヨル
ダン川の水をせき止めて渡らせ、更にエリコの城壁を崩され、勝利
を与えられた。あの絶対に滅びないバビロンを倒され、不滅と言わ
れたローマも倒された。神に不可能は一つもない。すべては主の主
権の中だ。

その全能の神があなたの事を心配して下さっている。そして「思い
煩うな」「神に委ねよ」と言われる。実は、問題が問題なのでなく、
問題の中で、神を信頼しない事が問題なのだ。問題を繰り返し繰り
返し心に思い、心が不安と恐れで引き裂かれてしまう。問題を見続
け、恐れのどん底に陥る。

逆にそれだけ繰り返し、恵みを思い起こせばどんなに幸いだろう。
神に心の告げて、問題をも支配されている神に問題を渡そう。そう
する時、立ちはだかる問題の城壁をが崩れることを見る。乗り越え
て行ける。

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「何も」何一つ、思い煩わなくて良いとは、何と驚くべき事だろう。
目の前のその問題もだ。この計り知れない安堵と安心を妨げている
のが、信じようとしない、委ねようとしない自我だ。まずありのま
まを祈って行こう。主は導いて下さる。