2015年02月07日(土)

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」箴言18: 12 


謙遜の代表と言われているモーセ。「地上のだれにもまさって、謙
遜であった」と記されている。しかし、最初からそうではなかった。
生後40年は、王家の王子として過ごした。人々から、ちやほやさ
れ、あらゆる学問を身につけ、ことばにもわざにも力があり、文武
両道、非常に有能な人物であった。

自分に自信があり、地位と力があり、自分こそが同胞を救えると思
ったが、皆の理解は得られず、結局、ミデアンの地に逃亡すること
となった。見渡す限りの荒野で、何も無いところで、モーセは羊飼
いとして生活した。王家の王子が、荒野で一介の羊飼いとなった。

自分の無力に打ちのめされた。力の無い自分を見せられ続けた。名
誉、地位、富、人からの称賛、栄光、プライド、輝かしき将来、す
べてをはぎ取られたのだ。しかし、これこそがモーセの真の富とな
った。荒野の試練の中で、自信に満ちたモーセは砕きに砕かれ、へ
りくだった、柔和な者へと変えられて行った。

神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。これは
普遍の法則だ。モーセは荒野で砕かれ変えられ整えられ、40年後、
今こそが、有用な、間に合う器として、民をエジプトから導き出す
という大きな働きのために用いられた。神はへりくだった者を用い
られる。信仰の一番の妨げは高慢だ。今、もし荒野にいるなら、大
きな祝福の手前だ。へりくだって、今いる場所で、神に従おう。

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自分の思い、自分の力で歩むことが、高ぶりだ。信仰人生の中で、
自らの無力を思いきり知らされる時がある。高ぶりを砕かれ、へり
くだらされる。その時は痛いが、自分の力が砕かれ、主に拠り頼み、
主と近く歩めるようにされる。