2015年12月10日(木) 「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」ヨハネ4:14
「しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」ヨハネ4:14
サマリヤの女性は、昼の暑い最中に、井戸に水を汲みに来た。普通 の人は夕方の涼しい時に来る。それは人と会いたくないゆえの行動 だった。実は、彼女は5回結婚し、5回離婚し、現在は同棲中だっ た。好奇の目で見られ、近隣の格好の噂の的だったろう。そのため 皆が集まる夕刻を避けていた。主は、そんな彼女のために、サマリ ヤへ行かれ、主の方から話しかけられた。 ユダヤ人とサマリヤ人は敵対関係だ。その男性が不思議な事を語っ た。生ける水を与えることができ、その水を飲むなら決して渇くこ となく、永遠の命への水が湧き上がると。彼女は戸惑いつつも井戸 水だと思い、汲む必要がないなら、その水を欲しいと願った。その 時に「あなたの夫を呼べ」と言われた。 一見会話がつながらない。しかし、それは彼女が決して触れられた くない核心だった。のどが渇くと水を飲む。そのように心が渇くと、 様々なもので潤そうとする。趣味、仕事、出世、地位、賞賛、人・ ・しかし幾ら飲んでも食べても、あれやこれや楽しい事をしても、 満たされない。更に渇く。 彼女は男性が心を満たしてくれると思った。しかしそこに救いはな かった。主は罪を示し、悔い改めに導き、彼女を真の喜びと満足へ と導かれた。私たちも、主は湧き上がる水を与えて下さっている。 それをふさいでいる罪があれば、悔い改めよう。その時、内側から 水が湧き上がる。心に喜びが溢れる。 ------------ 何に渇いているだろう。主との生きた交わりを通してサマリヤの 女のように主は、本音を照らして悔い改めに導いてくださる。 心の底にある渇きに、主の潤いが流れてくる。