2016年02月08日(月)

「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず・・神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました」ローマ4:20



神を信じた、アブラハムの状況はどうだったのだろう。75歳で「生
まれ故郷を出て、わたしの示す地に行け」との召しを受け、カナン
に向けて出発した。そしてカナン人との闘いの日々だった。月日は
経るが、子どもができず、しもべエリエゼルを相続人にと考えてい
た。「子孫を下さらないので、家の奴隷が跡取りになる」と。

すると主は「その者ではない。あなた自身から生まれ出る者が継が
ねばならない」と。主は彼を外に連れ出し、天を見上げさせ、子孫
はこの星のようになると告げた。その時、「彼は主を信じた」。彼
は、神の約束を信じた。現に子供は持たず、全く見ていない事であ
り、見えるところでは、受け入れ難い事だった。しかし、アブラハ
ムは神ご自身を信じた。

状況でなく、神ご自身を見て信頼した。「彼は望みえない時に、望
みを抱いて信じた」。望み得ないときに望みを抱くからこそ、信仰
だ。目に見えないから「信仰」なのであって、目に見えたなら、信
仰は要らない。人間の五感による、実感などどこにもない。状況を
頼り、感覚を頼るなら、どこを見ても信仰など湧かない。目の前の
状況から出す結論は、「不可能」だ。

その望み得ない状況から、どうやって希望が湧き出るのか。それは
約束の御言葉だ。神が語られた言葉を、そのまま真っ直ぐ受け入れ
る時、「彼の義とみなされたと書いてあるのは、ただ彼のためだけ
でなく、また私たちのためです」。私たちも、アブラハムと同じ祝
福にあずかる。
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神の御言葉を真っ直ぐに受け入れられたら、そのまま平安となり、
また次の神への信頼へと成長できる。状況に支配される不信仰を悔
い改め、砕かれながら信仰へと進んでいきたい。