2016年04月09日(土)

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけ ないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょう か」ルカ18:7



この人は裁判官であり、神を恐れず、人を人とも思わない人物だ。
裁判官だという事は法律にそって裁くという事だ。しかし人格的に
はこういう人なので、コネも富も持たないやもめは、決して退かぬ、
並々ならぬ決意で、執拗に裁判を願った。余りにひっきりなしにや
って来て、うるさくて仕方ないので裁判をする事にした。

正義のためや、仕事熱心や人道上からではない。ただ自分の平穏の
ためだ。こういう人でも、うるさいからの理由で腰を上げ、裁判を
するのであれば、ましてや完全な愛と完全な義をお持ちの神が、正
しい裁きをつけずに、放っておかれるわけがないと。つまりこんな
人格の裁判官でもそうするのだから「ましてや神は」という事を言
っている。

動いて下さらないわけがないと。神はうるさいから、祈りに答えら
れるのではない。愛していて下さるからだ。完全な愛と配慮を施し
て下さり、常に私達の最善を考えて下さっているお方だ。だから失
望はあり得ないと。祈る相手が、どんなお方かが何よりも重要だ。

神はすみやかに彼らのために正しいさばきをして下さる。祈りに答
えて下さる。御子を賜うほどに愛し、最善をして下さる神に、諦め
ず、失望する事なく信頼し続けよう。信仰を献げよう。御心通りに
叶えられて行く。そしてその祈り自体をも導いて行って下さる。

・・・・・・・・・・
常に心に留め、極みまで愛し、配慮し、最善を成して下さるお方に
呼び求めている。夜昼、必死に呼び求めるたましいを、放っておか
れるわけがない。長らく祈り続けている、あの祈り、この祈り、い
つか神の時が満ちると、非常に励まされる。