2016年05月10日(火)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」詩篇55:22 



あなたには、今、心配、重荷があるだろうか。主に委ねよと言われ
ている。主は、私たちが全てを委ねる事を願っておられるが、無理
やりに従わせられない。私たちが、自らの自由意志で、自分自身と
自分の人生を委ねるように招いておられる。人は誰しも、結局のと
ころ、もし主に献げなければ、誰かにコントロールされ、何かに支
配される事になる。

主以外の、他のものに支配を任せることになる。主を礼拝しないな
ら、必ず代わりの何かを礼拝する。それは富であったり、人や自分
自身であったり、自分の考えやプライド、又、野心や肉の欲望であ
ったりする。そして、その支配されるものに縛られる事になる。罪
にも一瞬の快楽がある。しかし、主以外のもので、心を満たそうと
しても、決して満たされる事はない。

何かに心を囚われるなら、ますます心は渇き欲求不満になる。そこ
には虚しさと失望だ。主に委ねる事はいつでも祝福だ。問題が起き
た時に、主に委ねるなら、平安と交換される。委ねるなら必ず平安
だ。なぜなら問題を主に渡すので、問題を手放す事になる。手放す
ので、主は自由に働かれ、主が御心を成される。

その時、自分で何とかする必要がない。自分の考えを押し通したり、
人を思い通りに動かす事もない。思い煩う必要もなく、何と平安だ
ろう。そして委ねた事は、主が成し遂げて下さる。私たちは更に主
への信頼が増す。
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重荷を手放せないのは何故か。主が祈りを聞かれたとの確信や背後
で主が働かれることへの信頼が見えなくなっているからだろうか。
それでも主は心配してくださっている。