2016年07月10日(日)

「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あ なたがたの思いよりも高い」イザヤ55:9


例え話を耳にした事があるだろうか。ある村で洪水の避難勧告が出
た。ある男が「神が必ず助けてくれるから逃げない」と避難しなか
った。しかし水かさ増し、屋根に上った。そこへ救助隊のボートが
来た。「早く乗れ!」男は「神が助けてくれるからいい!」ボート
は去った。最後に救助ヘリコプターが来た。だが「神が助けてくれ
る!」と救助を拒んだ。そして男は溺れ死んだ。

彼は天国で、神に怒った。「ずっと待ったのに、なぜ助けてくれな
い!」神は言われた「私は3度お前を助けに行った。1度目は避難
勧告、2度目はボート、3度目はヘリコプターで。それなのにお前
は拒んだ」。彼の間違いは、自分の思いに固執していた事だった。

神は祈りに答え、助けを送られた。だが自分の思い込みが強いため、
神の方法を受け取れなかった。神のみ思いがある。私たちもどうだ
ろう。色々な面で自分の思い込みが無いだろうか。例えば、祈りが
なかなか答えられず、どうなっているのかといぶかる。不安と思い
煩いにさいなまれる。しかし別の形で答えられているかもしれない。
思い込みが強くて、それが見えないのかもしれない。

又、答えの遅延を通して、自らの信仰を練られている事がよくある。
待つ訓練、見えない中で主を信頼する訓練、祈り続ける訓練、それ
らは遅延を通してでしか学べない。失望するのでなく、自分の思い
と別の形で教えられているかも知れない。悟れるよう、祈ってみよ
う。御霊は気づきを与えて下さる。

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神のみ思いは、しばしば人の思いとは違う。自分の思い通りにはな
らない。又自分の思い込みや、決めつけは、目をふさいでしまうの
で、神の方法を見誤る。今、神が働いておられるのに、見えていな
いかも知れない。それが見えるように祈ろう。