2016年08月10日(水)

「このミカという人は神の宮を持っていた。それで彼はエポデとテラフィムを作り、その息子のひとりを任命して、自分の祭司としていた」士師17:5


エフライムにミカという人がいた。家は裕福で、家に宮を持ち、息
子を祭司にしていた。ミカの母親が、銀千百枚が盗まれた時、盗ん
だ者を呪った。しかし、息子のミカが犯人と知るや一転、息子を祝
福する。全く一貫性が無く、自分の都合次第で、何でもありだ。ミ
カが銀を返した時、母親は、その銀を聖別して主に献げると言った
が、二百枚を献げただけで、何とその銀で彫像と鋳像を作った。

それがミカの母親だった。ミカもミカで、自分の家に宮を作り、エ
ポデを作り、自分の息子の一人を任命して祭司にしていた。そこに
丁度レビ人が来たので、財力で、自分の家の祭司にした。レビ人も、
お金に目がくらみ、ミカの要請を受け入れた。王が無い時、このよ
うに混乱し、めいめいが自分の目に正しいと見えることをした。

偶像礼拝、秩序の乱れだ。「自分の目に正しいと見える」=「自分
に都合の良い」ということになる。正義も、神の御心も無く、ただ
自分の都合で、判断もその場〃で、コロコロ変えて行く。そうなる
のは、「王がない」ためだと。人は、王が無い時に、自分勝手に歩
んで行く。

私たちも、主を自分の王として、心の王座に来ていただかないなら、
同じ状態だ。イスラエルのように、口では「神」と言いつつも、自
分の都合のままに、自分の損得のままに動いて行く。主を心の王座
にお迎えし、自分の都合でなく、主の御声に耳を澄ませ、主の御心
に従おう。
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口では「神」と言いつつ感情、環境に大きく左右される信仰生活を
示される。自分の都合が第一となっている姿勢を悔い改めたい。不
動の主を心に据え、静まって御声を待ち、聞き従う日々でありたい。