2016年09月09日(金)

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて進もうではありませんか」ガラテヤ5:25


新生した時に、新しい性質が与えられ、神の性質を持つ。しかし古
い性質、生まれつきの性質、肉もそのまま残されている。これら二
つの性質が戦う事によって成長して行くようにとのご計画だ。古い
性質、肉は、神無しで生きて行こうとする性質だ。神に敵対し、自
分の力で、自分の賞賛、自分の栄光を求めて生きる。

一方新しい性質は、神に喜ばれる事を求め、神の栄光のために生き
る事を願う。これら相反する二つの性質が内にあるのでややこしい。
「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らう。この二つは互
いに対立していて、そのため、自分のしたいと思うことをすること
ができない」とあり、私たちは、どちらも内にあるので、どちらに
も引っ張られて、したい事が出来ないと。

そのため、御霊に導かれ、御霊によって歩むことが必要だ。御霊に
導かれて行く時に、ローマ8章のパウロのように、肉に打ち勝って
行ける。肉に従うと、御心と正反対の的はずれな方向に進む。罪を
犯してしまう。だが御霊に拠り頼んで行く時、肉は増幅できない。
御霊が支配し、導かれる時に、肉の思いや行ないを捨てて行ける。

そして、御霊によって主の喜ばれる事、主の御心を行なうことがで
きる。主は私たちが肉に歩む時、平安を取り去って教えて下さる。
何か心が重苦しく、沈み、暗く平安が無い時は、祈ろう。御霊の歩
みへと導き返して下さる。
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肉のままに歩むのは楽しく思えても感情に振り回されている奴隷の
ようだ。御霊の導きがあるということは何と感謝だろう、本当の自
由がある。御霊の歩みを祈っていこう。