2016年10月10日(月)

「別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」マルコ4:8



種蒔きのたとえの中で、4つの土地に蒔かれている。種は御言葉で、
土地は私たちの心だ。それぞれ、私たちの心に語られた御言葉の状
態を示している。ここでは種ではなく、土地の問題、聞く心の状態
が問題だ。聞く態度が良ければ、種は芽吹いて、どんどん実を結ん
で行く。聞く心の状態が悪ければ、全く実を結ばないとある。

どのように聞くかは重要だ。種が土地に植わらなければ、実の結び
ようがないように、御言葉が心に根ざさなければ、実の結びようが
ない。サタンは私たちの心の中を見ていて、御言葉をどのように聞
いているかを知り、「悟らない」と、心に蒔かれたものを奪い去っ
てしまう。

幾ら自分は聞いていると思っても、聞かなかった事と同じになる。
サタンが絶えず御言葉を奪い、祈りを奪い、デボーションを奪う事
を覚えていよう。又、聖書を読み、礼拝で説教を聞くが、私たちの
心には、まだいばらがあるので、「世の心づかい、富の惑わし、そ
の他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐ」。

色々な肉の欲が湧いて来る。その時に、このいばらを捨てること、
献げること、委ねることを繰り返して行こう。祈りは力だ。肉の欲
が出て来るたびに、まず祈って、取り扱っていただこう。信仰人生
に、実を結ぶか結ばないかは、私たちの聞く心の状態にかかってい
る。
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実を結ばせるために何が欠けているのだろう。心の状態を省みてみ
たい。命ある種を信じて従おうとするときに何にぶつかるだろう。
また実を結ばせようとして聞いているだろうか。