2017年04月09日(日)

「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒た ち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」使徒 8:2


サウロは神のためと信じて、熱心にクリスチャンを捕まえていた。
そしてステパノ殺害に賛成していた。ステパノの御霊の力に満ちた
証しを、目の前で見て、サウロは憎悪に燃えた。キリストを神とし、
救い主とする、クリスチャンは許しがたい存在だった。怒りと敵対
心、憎しみは増幅し、殺害の意を固くした。

ステパノの厳粛な殉教により、更に迫害は激しさを増し、荒れ狂っ
た。サウロは、教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々
を引きずり出し、投獄して行った。そのため信徒たちは、四方に追
いやられ、あちこちへと散らされて行った。皆が、散りじりバラバ
ラになってしまった。

では、この厳しい苦難で、信徒たちは失望落胆、意気消沈して、教
会は壊滅して行ったのか。ところが、そうではなかった。あちこち
に、散らされた信徒たちは、何と「みことばを宣べながら、巡り歩
いた」。結果的に見れば、この迫害による離散によって、返って福
音が拡大して行く事になってしまったのだ。

信仰の火が消えるどころか、ますます燃え上がり、信仰が強くされ、
福音が四方八方に拡がって行った。私たちも「なぜこんな事が!」
「なぜ突然こんな苦しみが?」との突如の事態が起きる。しかし一
見、マイナスのその事が、理解を越えた大きな祝福へと結実して行
く。そして信仰が堅くされ、成長へと導かれる。

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今、目の前に理不尽な状況、理解不能な事態、失望させられるよう
な事柄、それこそが大きな祝福となる事を信じていよう。迫害によ
る離散が、福音の拡大になったように、主のご計画は思いを遙かに
越えている。