2017年05月10日(水)

「おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」ルカ15:31



弟息子が、父の財産をもらい、家を出て、放蕩三昧に身を崩した。
餓死寸前で我に返り、父のもとへ帰ることを決意する。好き放題を
して、財産も浪費し尽くした息子を、父は何も言わず、責めずに全
面的に受け入れる。息子が帰った事が、父には大きな喜びだった。

ところが、兄息子は、行方不明であった弟が無事に戻ったのだが、
受け入れられない。好き勝手をして、身を持ち崩した弟、そんなこ
と自業自得ではないか。その弟のために宴会とは何事だ。兄息子は
激しい怒りがおさまらない。怒りで、家に入ろうともしない。父に
食ってかかった。

自分はずっと父に仕え、戒め破った事がない。なぜこんなろくでも
無い弟のために、子牛をほふり、宴会なのかと。怒りで、納得が行
かない。実は、兄息子は長年不平不満でいっぱいだった。父との関
係は労使関係、雇用関係だ。しかし父は「私はいつもいっしょにい
る。私のものは、全部おまえのものだ」と。

兄息子は、父のすべてが与えられている。だが、全部の祝福を手に
している事がわからず、弟への待遇に怒った。妬みもあったかも知
れない。兄は、父の愛を受け取ろうとしないので、愛がわからない。
父は、弟息子は「死んでいた」と言った。だが、兄息子も同じよう
に「死んでいた」。

自分は正しいので、罪が見えず、それなら、悔い改めも無いことに
なってしまう。父は兄息子を、こんなにも深い愛で愛している。今、
心が不満でいっぱいなら、溢れるばかりに注がれている主の愛を覚
え、立ち返ろう。
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ありのままを愛され、受け止められていることを覚えたい。不平不
満の中に自分は正しい、よくやっている、だから与えられていると
の価値観がないだろうか。自分の罪も御父への感謝も見えなくなっ
てしまう。