2017年07月10日(月)

「それで神は、この民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた」出エジプト13:18 


神が民をエジプトから出された時に、約束の地に導くのに、ペリシ
テの近道を行かせず「荒野の道」へ回らせられた。「民が戦いを見
て、心が変わりエジプトに引き返すといけない」からであり、そこ
に神の配慮があった。長年の奴隷生活で、戦いの訓練も経験も全く
無い民が、敵との戦いなど恐怖で怯えて、引き返してしまうだろう。

私たちの価値観の中に、楽な道、平らな道、問題の無い道を好み、
近道、早く到達する事、順調が善との思いがないだろうか。苦しい
事、困難な事は避けて通りたい。しかし神は近道ではなく、あえて
荒野の、困難な道を通された。神が、苦しい、延々時間のかかる道
を通されるのだ。

神に不可能はなく、今すぐに、願っているものを与えて下されば良
いのに。長々と時間がかかり、事は解決せず、まさに遠回りさせら
れていると感じる状況がある。自分の思いと全く違う道を歩ませら
れる。しかしそこを通ってこそ、学べる事がある。神に無駄はない。
忍耐や信仰が培われ、神の愛や慈しみ、真実を経験する。委ねる事
を学ばせられる。そこを通らずしてあり得ない。

そしてその通り道には、雲の柱火の柱が伴い、進べき道が示される。
道を見失う事はない。荒野での灼熱の太陽から雲の柱で守られ、夜
の暗闇を火の柱が照らした。それは、道中決して「民の前から離れ
なかった」。今、荒野にいるなら、神を信じ、従って歩もう。片時
も離れず共におられ、導いて下さる。
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平凡な日々の間に感謝できない試練が突然臨む。出口の無いような
長い荒野であっても必ず終わりが来る。試練の背後の御神を見てい
よう。神に頼りぬく深い信仰を与えられ、今の一歩の力をくださる。