2018年06月09日(土) 「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずから せようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10
「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずから せようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10
信仰人生において、苦しみや悲しみ、悩み、問題は必ず来る。それ らを用いて、主は私たちを訓練し鍛え、成長させて下さる。しかし 大事な事は、正面から受け取る事だ。どうしても痛くて、辛いので、 避けて、逃げようともがいてしまう。それなら、ただ痛くて苦しい だけで、何の学びも得られない。 ある人は試練の苦痛に、ただただ頭をおおいうずくまっていただけ だったと。祈る事も、求める事も何もせず、試練として受け取って いなかった。そのためただ痛いだけだったと。苦難に際して二つの 選択肢がある。一方は信仰の目で受け止め、口からは信仰の言葉を 語って行く。他方は愚痴と不満を言い、又、反抗し、周囲を、相手 を責めて行く。 相手を責めると、その時は肉が快感を得、解放感を得る。が、その 結果、周囲に害毒を流し、証しを壊し、自分も平安が無く、怒りや 不満、いら立ちで一杯いになる。だが主を見上げ、信仰もって事態 を受け止めて行く時、そこに主が働かれ、祈りが受け止められ、自 分自身の心も守られる。 試練の受け止め方で、天と地ほどの差が出て来る。今までのあの時、 この時、どうだったろう。信仰人生、これからも数々の試練がやっ て来る。主が私たちを救って下さったのは、悩みの無い、問題の無 い平穏な生活を与えるためにではなく、自己中心が砕かれ、御子の かたちに変えられ、聖くされるためなのだから。 主の目的に焦点を当てて、試練を受け止められるよう祈ろう。 ・・・・・・・・・・・・・ 痛い事には触れたくなく、逃げてしまいたくなる。しかし何かを教 えたくて、さじ加減ピッタリに与えられている、目の前の事態に向 き合えるよう祈ろう。向き合って行くなら、自分が変えられて行く。 そして主を更に深く知って行ける。