2018年09月09日(日) 「とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうし て、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マ タイ7:11
「とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうし て、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マ タイ7:11
「求めなさい。そうすれば与えられます」とある通り、私たちは主 に祈り求め、沢山の祈りが答えられた事を、感謝している事だろう。 しかし、答えられなかった祈りも幾つも経験して来た。そして、振 り返ってみた時に、答えられなかったあの願い、この願い・・答えら れなかった事が感謝であった事を見い出す。 あの時、この時、あの願い、この願いに、その通りに答えられてい たら、間違った道に行っていたと。私たちは、自分の真の必要をわ かっているわけではない。どうしても自分軸で、自分を中心に物事 を見てしまうので、正しく見えていない。あの時、あの祈りが答え られていたら、自分はどんなにか高慢になって、恐ろしい事になっ ていたかと思う。 道が閉ざされた事で、心砕かれ、へりくだらされ、高ぶる事から守 られた。思い通りになっていたら、どうなっていたかわからない。 自分的には、これが、あれが、絶対に最善と思うが、美味しい草を あさって迷子になる羊のごとく、目先の事しか見えていなかったり する。 主は、遙か彼方まで何もかも見通された上の最善を用意して下さっ ている。そしてそれは御子のかたちに造り変えて下さるようにとの 最善だ。自分の思う最善でなく、主が思われる最善に従って行けた ららどんなに良いだろう。自分の思いを横に置いて、主のみ思いを 求めてみよう。主が与えて下さるものが、最も良いものなのだから。 自分の思いとは違うかも知れないが、「良いもの」を与えて下さる。 ・・・・・・・・・・・ 長い信仰生活を振り返ると、自分の思いと主のみ思いがしばしば違 っていた事がわかる。自分ではこれが絶対に良いと思うが、主の御 心は別なところにあった。それを幾度も経験して、主のみ思いを求 めて行く事が、幸せへの歩みと思わせられる。