2019年07月10日(水) 「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分 と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」 U歴代16:9
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分 と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」 U歴代16:9
主は、御力をあらわして下さるとある。あまねく全地を見渡し、そ の心がご自分と全く一つになっている人々にと。ここで落胆してし まわないだろうか。とても主と全く一つになどなっていない・・。罪 ばかり犯し、肉に歩んでしまうし、そんな事は不可能に思える・・。 だが、主と一つになるとは、自分の思い、自分の願い、自分の計画 を、祈りの中で、軌道修正されつつ、主のお心に合わせて行く事だ。 自分の思いでいっぱいだったのを、自分の方が変えられて、主のみ 思いに沿わせて行く、その時、主の御心を行なう者とされる。 そして又、ダビデを通して教えられる。ダビデは主より「彼はわた しの心にかなった者」と言われた。主と一つだ。しかしダビデはど うだろう。バテシバとの姦淫、その罪を隠ぺいするために、その夫 のウリヤ殺害という更なる罪を犯してしまった。そんなダビデだが、 ナタンを通して罪を示された時に、罪を認めて、悔い改めた。 王であるダビデが悔い改めた事は、主の御前でのへりくだりだった。 主と一つであるという事は、決して罪を犯さず、完璧に信仰生活を 送るという事ではない。そんな事は誰も出来ない。弱さゆえに、ど うしても罪を犯してしまうが、その罪を認めて、悔い改める時に、 主と一つだと言われる。御霊は罪を示して下さる。それは大きな恵 みだ。赦されるためだ。悔い改めて、悔い改めて歩もう。 ・・・・・・・・・・・ 新しく生まれた後も、肉の性質があり、弱さがあり、どうしても罪 を犯してしまう。しかし私たちは悔い改めることができる。何とい う恵みだろう。悔い改めて悔い改めて、赦されて赦されて生きて行 ける。そしてその度に、主の愛がいかに深いかを知って行ける。