2019年10月10日(木)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」マタイ6:34



「明日のことについて心配無用」と言っている。心配が無用と言っ
ているのであって、雨の日のための備えや、将来の計画が無用と言
っているのではない。能天気が良いとの意味ではない。主の御心求
め、主と相談しつつ将来の備え、計画は良い事だ。明日は全く見え
ないので、主が飛んで、亡霊のような不安のみにさいなまれる事が、
全く必要無いと。

しばしば「もし」で不安の泥沼に入り込む。体調が少し悪いと「も
しこのまま大変な事になれば・・」経済的状況が少し悪いと「もし
食べて行けなくなったら・・」と最悪のシナリオへと進む。そして
今日の一日を思い煩いと不安でつぶしてしまう。明日は、明日の必
要の備えがあるから、今日を精一杯、御心を行ない主に在って生き
るようにと言っている。

ある婦人が、兄家族と同居の実母を急な事情で、一ヶ月預かる事を
頼まれた。ちょっとした介護も必要で、自身は家庭を持ち、責任あ
る仕事を持ち、到底無理と思われた。しかし状況的に自分しかおら
ず、祈りに祈った。すると明日の心配無用と、今日一日の事だけを
考えるよう示された。今日一日だけなら何とかなる。

不安な重い気持ちが軽くされ、祈りに祈り、一日だけを考えて生活
した。すると思い煩いや不安から守られ、平安が与えられた。夫と
子供たちがよく助けてくれ、協力してくれた。一ヶ月間、主と共に
全うできて、心から感謝した。主に委ねる事、この一日を生きる事
を改めて教えられた。
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主を見上げなければ明日はいつも不安と恐れだ。今日の心配が明日
も続くように思えてしまう。主に祈り、主から力を得よう。一日、
一日、主が支えてくださる。