2020年02月08日(土)

「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい・・あなたがたのそ のりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるように なります」Tペテロ2:12



私たちは「異邦人の中にあって」生きている。ノンクリスチャンは、
私たちの生き方を見ていないようで、よく見ていて、しっかり観察
している。主は「立派に振る舞え」と言われる。信仰は常識を超え
る事はあるが、決して主は非常識なお方ではない。愛は礼儀に反す
る事をしない。信仰者として法律を、社会のマナーを守って行く必
要がある。

人々は聖書は読まないが、クリスチャンという人々がどんな生き方
をするのか、その生き様を通して、聖書を知る。「御霊の実は、愛、
喜び、平安・・」、世の人々が、喉から手が出るほど欲しいものが、
愛、喜び、平安だ。人が求めるものは愛であり、誰しも愛し、愛さ
れて生きたい。それが得られないので、他のもので心を満たそうと
する。

又、外側からの刺激による喜びしか、世にはない。何か嬉しい事、
楽しい事があるから喜べる。しかし、私たちの喜びは、外側に依存
していない。内側から湧き上がる御霊の喜びだ。又、恐れ、不安、
思い煩いの中にいる世の人々にとって、平安は何と魅力的だろう。
喉から手が出るほど欲しいものだ。主に委ねて、主を第一として生
きる時、この平安に満たされる。

それらは内側から溢れて来る。御霊の愛、喜び、平安がある時、私
たちに弱さや失敗はあっても、何かが違うと人々に思わしめる。私
たちの振る舞いを見て、神を誉め称えるようになると。対人関係で
は、時に、理不尽な事も経験する中、御言葉に従って行こう。証し
として下さり、豊かに報いて下さる。

・・・・・・・・・
立派な振る舞いは、御霊によるものだ。自分の力では出来ない。又
内から湧く喜びや平安も御霊によるもので、自力で得られるもので
はない。主との地道な交わりの中で、従って行く時に与えられる御
霊の実だ。「御霊によって歩みなさい」まず祈りから始めよう。