2020年04月09日(木)

「とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マタイ7:11



御父は、私たちの親であるので、子供に最善のものを与えたいと思
っておられる。そのため、私たちは「求めなさい」と、願いを求め
るように言われている。しかし、神は「自分の子供に良い物を与え
る」「求める者たちに良い物を」と、「良い物」を与えると言われ
る。それはすべてが自分の願い通りのもの、自分が祈ったそのもの
でなく、「良い物」だと。

つまり主が、私たちのために良いと思われるものであり、最善のも
のだ。それは、願ったものその通りかも知れないし、また別のもの
かも知れない。とにかく主からご覧になる、私たちにとって「良い
物」なのだ。祈りが答えられないと、がっかりしているなら、祈り
の答えを、今一度見直してみよう。

一つ一つの祈りが、別の形で、違う形で答えられているかも知れな
い。小さな子が母親のように料理をしたいと包丁を求めても、親は
与えない。しかしふさわしい年齢になれば持たせるだろう。又、子
供が高価な物を欲しがるなら、大きくなってから与える。持つにふ
さわしい時期がある。又、忍耐、待つ事を学ばせたかったり、その
子の益のために教育的配慮から控える場合もある。

自分はこれこそが絶対に良い、これこそ必要と思うが、主は完全に
ふさわしく与えて下さる。主には間違いが無い。主が与えて下さる
ものは、自分の願いとは異なるかも知れないが、それは「良い物」
だ。その時は理解できずとも、必ず豊かな結実を見る。
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主が良い物をくださるから待ち望む希望がもてる。与えられない物
にも意味を見出せる。自分にとって有益なもの基準をしっかり知っ
ている事は、なんと自由で幸いだろう。