2020年08月10日(月)

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます」ヨハネ14:27



「主の平安」「わたしの平安」は「世が与えるものとは違います」
とある。この世の平安ではないと。世の平安とは、環境、状況が平
穏無事であることだ。災いが無いことであり、「無病息災」「家内
安全」「交通安全」「商売繁盛」だ。そしてこれらを得るための信
心だ。それで災いに会うなら、信心している意味が無い。

しかし、主の与えて下さる平安は、違う。どのような環境の中であ
ろうと、主ご自身から来る平安なので、環境に関係が無い。それは
揺るがない平安だ。行き詰まった歩みの中で、絶体絶命の状況の中
で、何もどうにも出来ない中で、自分自身を明け渡して、主に委ね
る時に、状況は何も変わらないのに、に不思議な平安を経験する。

厳しい大変な状況の中で、心が落ち着いて、平安になってしまう。
外部からの何ものにもよらない、主からの平安だ。そして祈りの中
で、事態が展開して行くのを見る。又、信仰生活の中で、主の御心
を求める時、主の判断を求める時に、「心の平安」は一つの基準に
なる。「御言葉」と「環境」と「祈りによる心の平安」だ。

「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、
温順であり、またあわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、
見せかけのないものです」とあり、主からの知恵、み思いは、平和
(平安)が心に来る。平安の有り、無しによって歩みが導かれる。
進路に、歩みに平安が無ければ、前に進まず、そこでとどまり、ま
ずよく祈った方がよい。それが御心の道ならば不安に答えを与え、
平安を与えて下さる。
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心に苦いざわつきがある時、何かが違うと教えられる。それは本物
の上からの知恵ではないからだ。どんなに暗い中も一人ではない。
御霊は教え励まし導いてくださる。