2020年11月09日(月)

「ふたりを外に連れ出して『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか』と言った」使徒16:30



私たちが、深い苦しみや悲しみの中においても、主に拠りすがり、
信仰をもって、平安と感謝をもって生活する時に、周囲の人々は、
なぜそうできるのかと不思議に思い、インパクトを受ける。パウロ
とシラスが、迫害により酷く鞭打たれた後、投獄された。足かせと
激痛の中で、賛美と感謝をしていた時に、囚人たちが聞き入ってい
た。

この世では、そういう状況では、愚痴、不満、失望、落胆が普通だ。
人々は、彼らをただ者ではないと思ったろう。又、一マイル行く者
と共に、二マイル行ったらどうだろう。一マイル行くのも苦痛なの
に、二マイル行くなど有り得ない。どうして?そんな事ができるの
か?と自分には出来ないので、やはり何かを感じる。その時に証し
ができる。

希望について説明を求める人に、弁明出来る用意は大切だ。そのチ
ャンスはいつ来るかわからない。ある人が、離婚という非常に辛く
苦しい試練を通った。尽きない涙の谷を通り、張り裂けそうな苦し
みの中で、主だけが望みで、頼りで、何もかも委ねて、主に拠りす
がった。その時、不思議を経験した。世のものでは無い主の平安を
与えられ、主にかくまわれているようだった。

状況は悲惨なのに、主の平安に包まれた。この世のものでない御霊
の喜びと感謝が湧いた。誰よりも心を痛め、じっと見守っていた未
信者の父親が「お前が、安らかでいる事が嬉しい」と「自分も、お
前の神を信じる」と、主を信じ救われた。
-------------
喜びにつけ悲しみにつけ、自分に向けられる主のご愛をその度に知
らされ深く感謝するばかりだ。死を超えた希望も持っている。いつ
も主が共にいてくださる感謝を証しして生きよう。