2021年03月10日(水) 「こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼ら はその町を建てるのをやめた」創世記11:8
「こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼ら はその町を建てるのをやめた」創世記11:8
創世の初めは、全地は一つ言葉だった。自由に意思疎通ができてい た。シヌアルの平地に人々は定住し、石の代わりに、れんがを作る 技術が与えられ、れんがと瀝青で建築物を作ることができた。ス ムーズに対話ができ、肥沃な地で、建築の技術も与えられ、すべて は神の大いなる恵みであった。 しかし、その神の恵みに感謝し、神に栄光を帰するのではなく、人 間は、自分の名をあげ、自分の栄光、名誉、賞賛を求め、自分が神 にとって代わった。神の恵みで賜った能力を、自分の栄光のために 使うようになった。自分、自分、自分・・。これがアダムからの罪 だ。 「その内に」とあり、最初は良かったのだろうが、その内に方向が 狂って来た。「我々は、頂きが天に届く塔を建て」と。とんでもな い事になって行った。主は言葉を混乱させ、意思疎通が不能にされ た。その結果、塔の建築は不可能になり、中止になった。塔建築は 失敗した。主が阻止された。主は、御心をそれた高ぶりを止められ る。 そして人々は全地に散らされた。原因は主への高慢だった。彼らの 塔建設は「われわれが全地に散らされるといけないから」という動 機からだったが、逆に全地に散らされる結果となった。この所で学 ぶ事ができる。互いに意思疎通ができない時、そこに「高慢」が潜 んでいないか。 自分が神になり、自己義、自己中心、自己主張、自分、自分・・。真 の一致は、主の御前にへりくだり、人の前にへりくだるところにあ る。そこには必ず平安と喜びがあり、主の栄光が現われる。 ・・・・・・・・・・・ 高慢があるところに、意思疎通が困難になり、分裂が生じる。様々 な集まりや、対人関係で起きる。友人間、家庭の中、ギクシャクす る時に、高慢がないか考えてみよう。逆に、へりくだるところに平 安と平和、和合、潤いが生まれて来る。