2021年04月09日(金) 「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」ルカ12:15
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」ルカ12:15
愚かな金持ちが出て来るが、どこが愚かだったのだろう。彼は「安 心」の拠り所を富に置いていた。お金さえあれば、幸せだと考えて いた。財産を更に蓄えたなら、楽しめると思っていた。富が、自分 を幸せにしてくれると信じていたからだ。富、地位、名誉、異性・・ 何かに執着して、それが自分にとって絶対的なものとなるなら、そ れが偶像だ。 そして「私の」倉、「私の」穀物や財産、「自分の」たましいと、 彼にとり、すべてのものが「私の」ものだった。神のため、人のた めに使おうとの思いは皆無だった。私たちは、何一つ持たずにこの 世に来て、何一つ持って出る事も出来ない。今ある命も富も能力も 時間も、すべては神の賜物だ。一人〃に預けられ、任せられている。 それをしまい込んでいるだろうか。自分中心に、自分の思いで、使 っているだろうか。主のため、人のために用いる時に、大きな喜び を得、生き生きと生きる事ができ、天でも豊かに報いられる。御心 に従って、どんどん用いて行こう。そして、彼は財産を倉にしまい 込めば、自分の「たましい」も保証されると考えた。 「愚か者。おまえのたましいは、今夜、おまえから取り去られる」。 たましいは、神の領域だ。誰も神に代わる事はできない。自分も必 ずいつか死ぬ事を考えていなかった事だ。私たちも、自分の死の事 はわからない。「自分のために蓄えても、神の前に富まない者」で はなく、主に喜ばれるよう生きる事が、神の前に富む事だ。 ------------- 心がこの世のもので一杯になっている時、神との関係が飛んでしま う。私の、私のと自分と自分の集めた物に頼っていないか。神の前 に裸で立つ日が来ることをいつも覚えていたい。