2021年05月10日(月)

「弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩 して湯水のように財産を使ってしまった」ルカ15:13

彼は、父といるのが窮屈で、離れたかった。好きなように生きたか
った。それで財産を受け取り、父を足げにして、家を出た。遠国に
行き、好き放題、放蕩三昧をして、財産を使い果たした。その後、
我に返り、帰還した。

その時、父は「この息子は、死んでいたのが生き返り」とあり、息
子は死んでいたと言っている。彼は家を出る前も、父のもとにいた
時から死んでいた。父は、何があっても変わらない愛で息子を愛し
続けたが、息子の心は、父には無かった。それがわかっていた父は、
息子のしたいように、望むようにさせた。

息子は気ままに、好き放題をし、行き着く所まで行った。身を滅ぼ
し、どん底で我に返った。その時に、父のもとへ帰る決心をした。
私たちもどうだろう。御父のもとを離れて、自分で生きてしまう。
自分の思い通りにしたくて、欲望を遂げる。自我は、どこまでも好5
きなようにしたい。

そして罪を犯すと、なかなかすぐに帰れない。どんな顔で帰ればよ
いのか。誰もが思うのが、少しましになってから帰る事だ。しかし、
父は何を喜ばれるのか。息子が「帰る」ことだ。父は帰ることをひ
たすら忍耐し待ち続け、息子が帰った時には、父の方から走り寄っ
て、抱き口づけした。

父は、ただただ待つ。腕づくで連れ戻しに行かず、ただ待つ。息子
が自らの意志で帰るのを、ひたすら待つ。私たちは何度も主を離れ
る。しかし、私たちの弱さをご存じだ。何度でも立ち返ろう。御父
は待って下さっている。立ち上がって、愛なる父のもとへ帰ろう。

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信仰生活で、罪を犯すと、とがめが来て、何となく主から離れてし
まう。そしてこのままではまずいので、少しはましになって、みも
とに行こうと思う。しかしこれが間違いだ。主の十字架をどこまで
も信じて、すぐにみもとに行こう。そこに豊かな赦しを経験する。