2021年06月09日(水) 「そこで王は言った『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか』しかし、彼は黙っていた」マタイ22:12
「そこで王は言った『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか』しかし、彼は黙っていた」マタイ22:12
主はたとえを話された。王子の結婚披露宴を設けた王は、しもべに 招待客を呼びにやらせた。すると招待客は、次々断って来た。その ため再度しもべたちを遣わした。だが、ある者は気にもかけず、又、 畑に商売に忙しいと。神の事に関心なく、地上の事に心奪われる。 王や王子の祝宴などより、畑や商売、この世の事の方が大切だ。 ましてやある者たちは、王のしもべを殺してしまった。何という事 だろう。招待客はふさわしくなく、王は、大通りで誰でも招くよう 命じた。片っぱしから呼び、宴会場は満員になった。するとそこに 礼服を着ていない客がいた。王は怒り、放り出した。突然招かれ、 誰も礼服など持っていない。礼服は主催者側で用意されていた。 つまり彼は、王の礼服を故意に着用せず、拒否した事になる。自分 の服の方が優れていると思ったかも知れない。彼は、招きは拒まず に来たが、王の前に出る「礼服」は拒んだ。招かれる者は多いが、 選ばれる者は少ないと言われている。すべての人は招かれているの だが、この客のごとく、自分の服で、自分を飾りたい。 どこまでも自分の力、自分の功績を捨てたくない。自分の善行、自 分の力で義と認められようとする事になる。主の考えより、自分の 考えを正しいとするなら、主を拒否する事になる。それは礼服を拒 む事だ。王の礼服、義の衣、主キリストを感謝して受け入れ、自分 の身に着て、主と一つとなり従って行こう。そして披露宴の大きな 喜びと楽しみにあずかろう。 ・・・・・・・・・・・ 天国には入りたいが、主を敬い、従う気持ちがないなら拒否と同じ だ。裸になり、主の与えてくださった救いの衣を着せられ、義の衣 をまとう歩みへと進もう。