2021年08月10日(火)

「『あなたを罪に定める人はなかったのですか』彼女は言った『誰もいません』・・『わたしもあなたを罪に定めない』」ヨハネ8:10




パリサイ人や律法学者たちが、姦淫の女性を主のもとに連れて来た。
姦淫は死罪だ。そのため「石打ちの刑に」と訴えた。主はじっとか
がんで、何かを書いておられたが、余りにも急き立てて来るので、
主は彼らに「罪の無い者が、石を投げよ」と言われた。すると、石
を投げる者が一人もいなかった。全員が去ってしまった。つ

まり、彼らは、主の言葉により自分自身の内側が照らされた。自分
を見て、自身に罪を認めたのだ。真実が現わされようとしていた。
本当の自分の姿にきちんと向き合うのか、それとも逃げるのか。彼
らは、皆、逃げた。主に導かれて、自分の罪を見たのに、それに向
き合おうとしなかった。しかし女性は逃げずに、そのままそこにい
た。

さばきからも逃れようとせずに、どうなろうと主のもとにとどまっ
た。罪を認め、身をゆだねた。その時、主から「罪に定めない」と
の赦しを受け取った。私達はどうだろう。罪がわかるのは、御霊の
光が臨むからだ。その時に光の方へ進む事ができるし、心を閉じる
事もできる。光に向いて、突き詰めて行く事は大事だ。

なぜいつもこの罪を繰り返すのか、どこに弱さがあるのか、自分の
どこに触れているのか、祈って行く時、必ず一つ〃示し出し、成長
へと導いて下さる。逃げるならそのままだ。光の方へ向き、光の方
へ行こう。主のかたちに変えられて行く。
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見たくない自分の罪は、主が十字架で負ってくださらなければ無く
ならないと思う時、恵みと同時に、罪を甘く見過ごすことの恐ろし
さを覚える。逃げずに向き合おう。