2022年05月10日(火)

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があな たがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7



今、心配事があるだろうか。問題は次々と起きる。親子、夫婦の問
題、対人関係の悩み、仕事や経済的苦境、健康問題、様々な事で思
い煩う。だが、主は「思い煩うな」「何も、いっさい」思い煩うな
と。何という恵みの知らせだろう。思い煩いは一切無用と。

なぜなら思い煩いは何の益も無い。心配しても、何一つ変わらず、
何を成し遂げる事もない。「誰が心配したからといって、自分の命
を少しでも延ばすことができるか」と。心が暗闇に落ち込む事で、
何かを変える事ができるのか。思い煩いは、百害あって一利無し
だ。

又、思い煩いは、実際より物事を大きくする。冷静に対処すれば、
乗り越えて行ける事態が、恐れでパニックに陥ってしまう。カナン
視察の後、ヨシュアとカレブは行ける!占領できる!前進しよう!
と言った。だが民は、他の10人の情報に、恐怖で怯えて泣き伏し
た。

その不安と恐れは、絶えず脳裏に浮かび、それを繰り返し〃見続け
ていると、恐怖の要塞を築き、強固にし、モンスターにしてしま
う。
自分がそうしている。モンスターにはとても打ち勝てず、敗北しか
ない。不信仰に陥る事になる。しかしそれは事実ではない。

空想上のモンスターであり、自らが描く最悪のシナリオは成ったた
めしがない。「祈りと願い事によって」その不安、この恐れを主に
知って頂こう。思い煩うなと言われるが、どうにもならないと、正
直に主に告げよう。主は手を延べ、助けて下さり、平安へと導いて
下さる。
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不安や恐れは次々に来るが、自分で考え込む前に主に手渡せるよう
祈ろう。主は必ず励ましと慰めとをもって最善の助けをくださる。
その経験を通して、日々、成長していきたい。