2022年07月09日(土)

「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて。あなたを知らず、あ なたの先祖っちも知らなかったマナを食べさせられた」申命記8:3


イスラエルの民は出エジプト後、荒野を通して、神からの訓練を受
けた。その理由は「あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがそ
の命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためで
あった」と。人は苦しみの時に、本当の姿が出る。圧迫され、追い
詰められ、行き詰まった時に出る姿が自分の本当の姿だ。

それは普段から心の底にあるが、順境の時には現われ出ないだけだ。
不満、愚痴、怒り、不信仰が出て来るなら、それは自分の姿だ。何
も無い順境の時、普段は良い人間だと思っている。人よりはましで
あり、いっぱしだと。しかし自分が思っているより、幾倍も罪深い
者だ。だが、そんな事はすべてご存じの上で、主は愛していて下さ
る。

罪の赦しを受け取る度に、十字架を新たに知り、感謝が深められる。
紛れもなく自分のための十字架であり、十字架によって世界に死に、
自分自身にも死んだ事を経験して行く。「苦しみにあった事は幸せ
でした」の通り、苦しみを通して、主のご愛と慈しみを知る。

ヨブも「うわさで聞いていたが、苦しみを通して、この目で見た」
と言った。主は試練の中で、誰も「知らなかったマナを」を下さる。
苦しみの中でしか味わえない御言葉を食する。その言葉は甘く、慰
め、癒し、力とされる。

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試練の中でしか、聞けない御言葉がある。苦しく辛い中で、主の語
って下さる言葉が心にびんびん響き、しみ入り、救いとされる。御
言葉によって生きる事を、まさに経験する。苦しみの時は、御言葉
を求めて、耳をそば立てていよう。慰めや指針が来る。